マヨ
2018年03月26日
寂しいです
白い犬、サモエドのニッキ君、白夏君を愛し、
猫たちと暮らし、遠く関東から何度も訪れて
私の勤める恵那市岩村町の街並を愛して
くれた大切な友人、これみつさんが、急ぎ足で
空へと駆け昇ってしまわれました。
一緒に岩村に来てくれていたニッキ君は、
数年前から空でこれみつさんをを見守って
いました。
昨年は白夏君、猫の小太郎君も空へ。
先日の雪は、迎えに来た彼らの魂だったのでしょうか・・・。
これみつさん、皆に会えて喜んでいますか?
「早すぎるよ!」と叱られているかもしれませんね。
お会いしたのに一度もこれみつさんに撫でられ
なかったけど、あちらでは少しはサービス
していますか?
春から始まるドラマで、岩村の街並を見るのが
楽しみと言っていたのに・・・。
全国を駆け回ったお城めぐり。
まだまだ、ご案内したい城跡があったのに・・・。
とっても淋しいけど、御縁が深く、互いに共感できる
物があったからこその淋しさと感じます。
これみつさん、ありがとう。
どうぞ安らかに。
たまにはサモ雲と一緒に岩村城の上にも遊びに来てくださいね。
今夜の最初の一手は、友人への追善射とします。
2017年07月06日
四十九日
一応、「お寺」で弔ってもらったので、仏教式に
四十九日という区切りを意識してみましたが、
マヨ自身はきっと何のこだわりも無いと思います。
お供えに頂いたお花達は、最長3週間以上も
頑張ってくれて、アレンジメントに入っていた
アイビーの枝は、今でも元気に花瓶に生けてあります。
野の花、購入した花など、一緒に生けてみましたが、
最近は留守の日中に室内が30度を越えるので、
2~3日で花がダメになってしまうことが増え、今は
アイビーだけにしてあります。
今日は、四十九日ということで、ハスの花の落雁
とお菓子も供えてみました。
あまりにあっさりした別れだったので、当初は、帰宅
したら庭にいたりして、なんて、しばしば思いました。
写真に向かって「早くそこから出てきなよ」と言ってみたり。
今でも、車で帰宅すると、いつもどおり、庭の方から
道路を眺めている顔が見えるんじゃないかなんて
思ってしまいます。
でも、いわゆる「ペットロス」のような状態には
陥っておらず、落ち込んで何も手に付かないとか
泣いてしまって眠れないとか、食欲が落ちるとか(これは
絶対無い・笑)、そういった困った事は起こっていません。
ちょっと困ったことと言えば、1年半前に新調した
頑丈な犬小屋をどうするかということくらいですね。
マヨに壊されないように、一枚板で出来た、職人さん
手作りの頑丈な物にしたので、壊されずには済んだ
のですが、主が居なくなった今、せっかくの頑丈な
犬小屋を1年半の使用で廃棄するのももったい
ないし、かといって身近にもらってくれる人もないしで、
どうしたものか・・・。
風雨で傷んだりする前に、どなたかに譲れると良いのですが。
但し、頑丈ゆえ非常に重い犬小屋で、搬出ルートが
階段なので、運ぶのが結構大変だと思います。
車も、室内の高さがある車や、軽トラじゃないと無理だろうなぁ・・・。
小さいようで、意外に大きい犬小屋です。
2017年05月27日
不思議な訪問者
マヨが空へ昇ってから、早くも1週間が経ちました。
今朝も先週と同じように良い晴天ですが、真っ白な
雲がプカプカと流れ、マヨも、あちらでの先輩の動物
たちも、のんびりと散歩をしているようです。
マヨを火葬した翌朝、玄関の前に、小鳥の死骸が
落ちていました。
野鳥の多い地域だけど、こんな事は今までに初めて。
羽毛が散るなど、その場で襲われた感じでもなく、
そこにポツンとありました。
可哀相なので、埋めてあげました。
それから数日後の早朝まだ暗い時間に、玄関の前
から奇妙な鳴き声が聞こえてきました。
「キャオウ!!キャオウウ!」と、2回続けては止まり、
また2回続けて・・・・と、何分も鳴き続けていました。
家の近くでこんな声を聞いたことがありません。
犬や猫ではないし、猿という感じでもない。
タヌキは家の前にいた事があるので、タヌキ??
あまりに長い間鳴いていたので、ひざ掛けを
羽織って、そうっと玄関の戸を開けました。
隙間から覗くと、玄関のまん前には姿は見えません
でしたが、数m横の、我が家の建物の影から、また
鳴き声が。
とても近い距離です。
忍び足で玄関を出て、建物の影の向こうの道路が
見えるところまで来たら、そこにいたのは1匹の
キツネでした。
街灯の明かりで、ハッキリと見えました。
フサフサ尻尾のキツネは、「あっ・・・(汗)」という表情を
浮かべて、一瞬私と対峙した後、ひらりときびすを
返して道路の向こうへ走り去っていきました。
あれ??ちょっと待って??私、夢見てる??
いや、確かに起きてひざ掛けを羽織って、外に
出てきて・・・。
いやいや、夢じゃないぞ。
なんだこれ?キツネに化かされたか??
夢か現実か・・・、一瞬、訳が分からなくなりました。
キツネで思い出したのが、ここに引っ越してきて
すぐに、マヨの散歩中に出会ったキツネのことでした。
http://yururi-n.dreamlog.jp/archives/5218317.html
↑こちらの記事は2年ちょっと前のものですが、「マヨの
散歩中にキツネに出会いました」と書いてあります。
確かにキツネに出会ったことがありました。
この時は、夕暮れ時の散歩中に、マヨと歩いて
いた道の真横の雑木林の中からガサガサと
音がして、イタチや猫よりも大きな生き物の音で、
しかもしばらく私達と平行して歩いてきたので、
すごく気味が悪かったのです。
早足で逃げようか、と思ったとき、数m先の
林の中から道へと飛び出してきたのがキツネでした。
道の真ん中でこっちをジッと見て、少し先へ
行って、またこっちを見て、サッと林の中へ消えて
行きました。
マヨも私も唖然として、ポカーンとしてしまった
のを思い出しました。
ああいうのが、キツネに化かされたというのだ
なぁと。
それ以来、一度も雑木林ではキツネを見ていないし、
家の周りに来ているという話も聞いたことはありません。
絵本の「ごんぎつね」じゃないけど、まさかあの小鳥
と、夜明けの訪問は、あのときのキツネの弔問
だったのだろうか・・・。
それとも、マヨは私に内緒で、今までにも夜中に時々
あのキツネと玄関越しに交流してて、マヨの返事が
無いのでキツネが呼んでたとか??
真相は謎ですが、不思議な不思議な出来事でした。
2017年05月23日
2017年05月21日
マヨ葬送
仕事帰りに迎え行けない為、その晩は一泊お泊り
で点滴とステロイド剤を続けてもらうことにしました。
18日朝、マヨの顔を見に獣医へ寄ってから仕事へ。
先生から「少しお時間あります?」とのことでした。
マヨのケージ内の清掃をする間、マヨをケージから
出していて欲しかったそうです。
怒りスイッチが壊れちゃったように、ウサギみたいに
キョトンと素直になっちゃったマヨですが、急に
我に返ってガウガウ再発するかもしれないし、
脳腫瘍だと突発的な凶暴性が出る子もあるので、
定時のケージ清掃ができないかもしれないけど
ゴメンナサイねと先生からはお聞きしていました。
ちょうど清掃して貰えるタイミングがあってよかった。
夕方、迎えに行くと、マヨは朝よりもしっかりしてて、
水もよく飲んでますとのことでした。
首輪で誘導すれば、エッチラオッチラ、どうにか
入院室から診察室まで歩きました。
入れて数日経った留置針は外し、その処置の間も、
キョトーンとしてはいましたが、昨日よりちょっと
怒ってる感じだったので、少し感情も戻ってきたかな?
てんかん発作も15日朝の1回きりだし。
「少し落ち着いたようだから、次回は10分ほどでできる
皮下点滴にして、通院で過ごせるようにしましょうか。
薬も飲めて、家でも点滴できれば通院も減らせるから、
点滴の練習もしましょう。」
てんかん発作の時のために、痙攣止めの座薬も
「お守りにね」と一回分頂きました。
帰宅して、円形サークルにアゴを乗せて立ち、
水を催促。
ポカリスエット入りの水をけっこうな量、飲みましたよ。
そして翌19日の朝、ポカリも飲んで、ついでに
薬までちゃんと飲んで旅立ちました。
19日の晩は、居間で過ごしました。
職場の人が丹精したモッコウバラやシランの花を
もらって、枕元に。
食欲魔人のマヨなので、バンダナはお寿司の柄のを
付けてやりました。
まだ10~11歳くらいだし、衰弱する間も無かった
ので、若い姿のままなのは、ちょっと切ないですね。
20日、動物霊園の寺院へ。
家から出るとき、お隣の家の方に声を掛けました。
この家に来て3年間、ほぼ毎日マヨに優しく
話しかけてくれていたのに、結局1回もマヨに
触れなかったので、今までのお礼も兼ねてご挨拶。
マヨの顔を見て、「やっと触らせてくれると思ったら
お別れの時とはなぁ・・・」と、撫でてくれました。
霊園では、本堂でお坊さんに読経してもらい、
小さな位牌も書いてもらって、これは7回忌まで
位牌堂で安置・朝晩のお勤めをするそうで、いつ
でも位牌を手に取ってお参り下さいとのことでした。
棺の中には、お花、フードどっさり、おやつ、今まで
犬友さんからマヨに頂いたもの、雷の時のための
鎮静剤と落ち着くためのサンダーシャツも入れて
やりました。
地上よりも、雷様に近いところに行くのだからね・・・。
閻魔様に噛み付いて、地獄行きになったりしないでよ。
立派な骨壷に納まって、帰宅。
居間に鎮座しています。
不思議と、精根尽き果てるような大きな落胆とか、
病気への憎しみ、治療への後悔や疑念などは
全く無く、私もダンナも普通の日常を過ごしています。
「瀬をはやみ 岩にせかるる瀧川の
われても末に あわむとぞ思ふ」
崇徳院・百人一首
水の流れが岩で分かれても、また同じ流れに
いれば、やがて逢えるだろう、出会うに決まっている、
という歌です。本来は恋の歌ですが。
命との付き合いも、また同じ。
マヨとも、出会うべくして出会い、別れるべくして
別れたのだと思います。
この歌のように、また何かの形で出会ったり、
マヨの気配を感じる事が、これからもあると思います。